include $_SERVER['DOCUMENT_ROOT']."/js/prepend.php"; ?>
text by Sakamoto Ryosuke 『編集者(岩Show)によるコメンタリー付き版』はこちら 0. 承前 –End of the Golden Age
誰にでも、何事にも、転機というものは等しく訪れる。 そして、そこにはいつだって”別れ”というものの影がひっそりと佇んでいる。 前回思い出語りをさせて頂いた通り、10余年の時を超えて果たした「マジック」との再会は、紛れもなく一つの転機だった。 憧れの的だった美しい《Bayou》は自らの手元で毎日のようにマナを生み出し、干ばつに襲われ、そして時に脈絡もなく山と化していた。
そして、特に思い入れの欠片もない謎の大型ルアゴイフやら、歩く《ファイレクシアの闘技場》やらが戦場を駆け巡り、そして感慨深いことに見慣れた農場で鍬を握る運命を歩んでいった。
私はもう、10枚並んだ《沼》から《夢魔》を叩きつけることはなかったし、《ラノワールのエルフ》から《ガイアの子》を繰り出すこともなかった。2度と、なかった。 1. Days at the Races
競技マジックというもの―この頃はレガシー一辺倒ではあったが―に触れ、私のマジックへの没頭は加速した。 60枚目(75枚目でないのが今となっては恥ずかしくもある)が決まらず夜な夜な調整を繰り返し、大会に出ては惨敗し、そして時々勝利の栄光に浴して思考を止める。 そんな日々だった。 しかしある時、具体的には1枚のカードの登場により、苦悩の日々は終焉を迎える。 最近では『イニストラード』~『ラヴニカへの回帰』が如何にエターナルに大きな影響を齎したかということは、何度も、何度も繰り返してきた。
しかし今思えば、レガシーというフォーマットに激震が走ったのは、『アラーラの断片』ブロックだったのだ。 《野生のナカティル》?
確かに素晴らしい1枚だ。 立て続けに登場した《長毛のソクター》等と並んで、一気に「Zoo」というデッキを一線級に持ち上げた。 《遍歴の騎士、エルズペス》?
これも素晴らしい。 最初は誰かがおそるおそる「Landstill」のフィニッシャーとして使い始め、いつしか非青ミッドレンジの最終兵器としても活躍するようになっていた。 違う。 本当の悪夢は、そう、 《むかつき》
という狂った1枚だった。 それまでレガシーのコンボ・デッキで一線級と呼べたのは「フリゴリッド(ドレッジ)」位であり、「Painter Stone」や「Helm Void」なんかはまだまだファンデッキの域を出ていなかった。
それ故にこの衝撃は大きかった。 何せ、勝てないのだ。 えっちらおっちらと鳥やら蛇の老婆?やらでマナを伸ばして、時々思い出したように手札破壊を打ち込む程度では、「Ad Nauseam Tendrils(以下ANT)」というデッキを抑え込むことは不可能だった。
更に言えば、当時は今と禁止カード&マナの持ち越しのルーリングが異なっていた関係で、 ・アップキープに《神秘の教示者》 ・更に《ライオンの瞳のダイアモンド》を起動 ・ドロー、《むかつき》プレイ
なんていう常軌を逸したプレイングが可能だったのだ。 最初の内は《Hymn to Tourach》の偉大さ故に勝ち星を挙げることも不可能ではなかったが、同時並行で従来のクロック・パーミッションやコントロール、更には根強く残る「フリゴリッド」まで倒しきるのは至難の業であった。
そして1年程経つ頃、具体的には『ゼンディカー』が発売される頃には…「ANT」というデッキとその乗り手が更に習熟し… 更に文字通りそのカウンターとして隆盛する「ベースラプション(※)」。
※《相殺/Counterbalance》《師範の占い独楽/Sensei's Divining Top》コンボで相手の呪文をシャットアウトし、《タルモゴイフ/Tarmogoyf》で攻めるクロック・パーミッション。 特に《闇の腹心/Dark Confidant》を採った4色の物を「ベースラプション」と呼ぶ。 …手札破壊の天敵である《師範の占い独楽/Sensei's Divining Top》を主軸とし、かつ打ち消しや《霊気の薬瓶/AEther Vial》を持たないデッキに対し圧倒的な優位を誇った。 もはや牧歌的なデッキで戦うのは限界が来ていた。 そして、私は観念し…
《Force of Will》をバインダーから取り出した。 2. The Rock is Dead
最初は普通の「カナディアン・スレッショルド」…ではなく、何故か「Super Grow」だった。
残念ながら、《クウィリーオンのドライアド/Quirion Dryad》というカードが好き過ぎて、まだまだ正統派には迎合できなかったのである。 とは言えやはり時代の覇者は《タルモゴイフ》。
じっくり子育てしている間に12点持っていかれてはたまったものではない。 暫くすくすく育つドライアドを楽しんでいる内にふと目が覚めた。 勝ちたい。 大好きな「The Rock」を捨てた。 それはすべて、勝利の為。もう負ける訳にはいかない。 ならば何を使うべきか。 「カナディアン・スレッショルド」?
―ダメだ、線が細すぎる。一昼夜で勝てるようになるデッキじゃあない。 「Landstill」?
―これもダメだ。負けないことを貫けるほど自分は強くない。 ならば。 ―相手が何かやる前に、息の根を止めてしまえばいいのだ。
「Team America」。 「カナディアン・スレッショルド」の「能動的に動かない相手の速度に引っ張られる」という弱点を克服し、「泣かぬなら殺してしまえ」スタイルに切り替えた、安定性皆無の暴れ馬。 新たな世界への期待と、そして一抹の、と言うには大きすぎる不安を抱えた初舞台は国内では珍しいレガシーGPT。 練習はゼロ。 しかしデッキの思想は理解できる。共感できる。 あとは感じるままにプレイするのみ。
そして、我に返った時…GPT Madridの3BYEを手に、周囲から祝福と冷やかしの言葉を浴びせられている自分がいた。 マジックとの再会、そして訪れた2度目の、転機であった。 さよなら、「The Rock」。メタが回るその日まで。 3. 啓後-The Show Must Go On
言うまでもなく、私の遥かなるレガシーの旅路は…ここで終わりではない。 新たな伴侶と喜怒哀楽を伴にし、そしてまた行き止まりにぶち当たり、次なる試行錯誤が始まる。 「New Horizons」、「Deedstill」、「Survival Junk」…
沢山の別れがあった。 そして同じ数だけ、新たなる出会いがあった。 そして新しい出会いがある度、喜び勇んでデッキを組み、大会に臨んだ。 Brad Nelson製Junk 「Dark Horizons」(GP神戸SEレガシー8位)
《モックス・ダイアモンド》入りJunk!誰がこんなこと思いつく? Brad Nelson?なら仕方ない。 《緑の太陽の頂点》「Zoo」(GP広島SEレガシー 12位)
一度は絶望の淵に立ち、「青くなければ勝てない」とまで悟った自分が、その数年後に友人達とチームを結成して練り上げたデッキが「罰する火Zoo」だったというのも皮肉で、笑えてくる話だろう。 因みにこのデッキは「猫山Zoo」という愛称で親しまれて?いる。
…皆大好きDJ 岩Showとまさかの75枚ミラーマッチを演じ、《森の知恵》だけで勝ってしまったというのも有名…ではないが思い出深い話。 《未練ある魂》「Deadguy Ale」(GP神戸SEレガシー9位)
久々に非青の復権を感じる1枚だった。今でこそパワーカードとしての評価を得ているが、この時はまだまだ初見殺しが通用したのだ。 8体の未練がましい悪霊が相手の《聖遺の騎士》2体を超えて蹂躙した時の「そのカード…強いですね」というコメントが忘れられない。 《若き紅蓮術師》「Trico-Traft」(GP北九州SEレガシー10位)
スポイラーで見た時の嘘くささと言ったらなかった。 これまた今でこそ(主に探査付き《Ancestral Recall》とかいうバカげた1枚の所為で)フォーマットを問わず活躍するエースと評価されているが、この頃はガンガン分からん殺し出来たものだ。 と、ガールズの如く、毎度毎度新しいものに飛びついてきた訳である。 (その割にそこそこの成績と言うべきか、そんなだから勝ちきれないと言うべきか?) いつしか、別れは悲しいものではなくなっていた。 いつだって、その先には新たな出会いがあったのだ。
旅路は続く。 ひとまずは目先のGP京都がある訳で、発表以来内心ここを終着駅と思っていたこともあった。 しかし、きっとまだまだ続く。 いつしか苦悩の日々も思い出に変わり、そして新たな苦悶に直面し、心のどこかでそれを楽しみながら… いつまでも、このGolden Ageが、続いて行けば良い。 そう切に願う。 了